日記

今日はワンルームの音漏れ問題について。

ストレスフルなことを書いているので、ご自身の判断でお読みください。

子供の頃は決して広くはない府営住宅の一室で高校卒業まで兄と二人部屋だったが、たまたま自分が自室(母親の寝室)側だったのでそういうことを気にしたことは一度もなかった。

今にして思えば、ある時期から兄が隣の部屋に住む夫婦の旦那の喫煙者特有の咳払いを煙たがるようなことを口にしていた。

わたしが音漏れに敏感になったのは、兄とふたり暮らしを始めてからで、しかし、そもそものきっかけは生活音ではなかった。

ある日、隣に住む大学生ぐらいの男の子が自室に帰ってくるやいなや自室で怒声を発し始めて、その怒声にびっくりしてしばらくまともに受け止めてしまった。

そこから生活音や声の音漏れに敏感になり、ちょっとした物音に対しても壁を叩いたり声を出したりするようになった。

リワークセンターに通っていたときにもこの問題について向き合う時間があったのだけど、いまだに一番衝動的な反応を起こしてしまうのが隣室の音漏れ(いまは話し声が突出している)で、両部屋ともすでに管理人に伝えて連絡もしてもらっているのだが、レベル4がレベル3になった程度で、自分の行動にも影響がある。

何割かはひとり暮らしのさびしさの裏返しもあるのかな、とは思うが、なんだかんだ現在進行形で毎日の懸念事項の上位にくる出来事だ。

日記

微熱までは行かないが、36.5~37.0の間を行き来している。とりあえず検査キットの結果が陰性だったので、延期していたリワークの面談に出掛ける。通所(この面談のこと)も通院もしんどいときは躊躇わず延期の電話をできるようになったのはひとつの成長。

話したいこと、整理したいことがあったので話の速い女性スタッフと話したかったが、今日は話の遅い男性スタッフだった。男性スタッフで良かった、と思える日もあるのでこのあたりのめぐり合わせは仕方ない(し、ここで女性スタッフに変えてください、とまで言う度胸はない)。

自分がほとんど文脈だけで短歌をやっていることにはやはり後ろめたい気持ちもあって、一時期は熱心に昔の歌人の歌集を掘ったりもしていたけれど、休職時の金銭難もあってストップしてしまっている。文脈のほうだって短歌ブームには興味がないからほんとうにあるようでない、ないようであるような目に見えないマイナーな文脈だ。そうしたほとんど言語化されてこなかったマイナーな文脈をなんとか顕在化させる作業にいま複数人で取り組んでいるが、その作業をしているとほんとうに寄る辺ない。

以前、界隈や文脈や流行り物にほとんど興味がなさそうでそれであるがゆえに話が合わなかった人に半ば強引に「界隈や文脈や流行り物には興味ないですか?」と訊ねたらそうしたものに対して思うことはすべて作品で表現する、と応じられて、その時はなんだか逃げられたような気分になったが、いまになって思うと相手が大人だったのかなと思う。

今回の作業でいまの自分の手持ちは一回すっからかんになるだろう。勉強しなきゃな、とあらためて痛感する日々です。

日記

深夜勤務のときにいるかなり癖の強いおじさんに年齢を訊かれて「31」って答えたら「意外とおっさんやな」と言われたことがけっこうムカついているみたい。

20代の人々が中心の現代短歌最前線(?)にいい歳してるのにお姉さんやお兄さんみたいな立ち位置で居続ける人々に対してアンビバレントな感情を抱いているのだけど、それをいったらわたしも完全にそうなっていくであろう人間で、そのあたりはくれぐれも老害にならないように戒めていきたい。

STAYCのカムバ曲、悪くはないけど、前回のテディーベア同様社会的な同調圧力に対してのエンパワーメントみたいな曲で、いまいち没入感に欠けるが、思えばステレオタイプもビューティフルモンスターもそういうタイプの曲だった。この二曲は女性アイドルと同調圧力色が強いが、直近二曲は一般的な大衆存在と同調圧力色が強く、その点がSTAYCのメンバーの存在感を薄めてるのかも。で、そうした視点がどうしても男性プロデューサー的な、日本でいうところの秋元康的な発想に思えてしまう。

比較的熱心に追っかけてるヨジャグルは、STAYC NMIXX NewJeans IVE の四つで、ここにルセラやエスパが入らないのが自分の偏りとも思うが、人に具体的に好きなグループ名を問われてニュージーンズかアイヴで迷ってニュージーンズにしちゃうということが何回かあった。これは、アイヴが日本語だと性的なニュアンスのある言葉になってしまうことを直感的に毎度察してしまうがゆえの反応なのだが、なんだかんだ最近はIVEが一番強いのかな、と思い始めている。IVEだけに熱中した期間は基本的にないけど、つねに観測範囲内に彼女達はいるし、なんだかんだこの四グループで唯一フルサイズのアルバムを出しているのも大きい。STAYCも今回の収録曲的なムードの楽曲でフルアルバム出してほしいな。

日記

八月の深夜勤務が終わった。

四日のうち三日はお盆休み前後なこともあり、かなり楽ではあったのだが、台風による業務変更もあって疲れた。

目が覚めたら母親から深夜勤務を労う重たいLINEがあって、少し時間をおいて返信したら案の定話したい愚痴があったみたいですぐに着信がある。母親から着信やLINEがあったとき無意識に舌打ちしているときがあるが、半分ぐらいは目の前のYouTube画面や聴いてる音楽が中断することへの苛立ちで、こういう感覚はYouTubeを観たりサブスクで音楽を聴かない母親にはわからないだろうと思うが、正確には、観させたり聴かせたりしていない部分もあるというか、兄が教える範囲では口は出さないが、自分からスマホの娯楽についての情報は与えないように意識している。

そんなこんなで、スマホどっぷりなわけだけど、だからこそ、スマホとパソコンの連携を休職中の金銭難からではあったが解消したのは最低限の自分への制約というか、ここの快適さをさらに整備する形にするとなし崩し的にリアリティ(?)が変容するような気がしていて躊躇する。そういう快適さ、クリーンさを豊かだともまったく思えないのは世代差だろう。

前回ぐらいから、深夜勤務が終わってからの数日は夜寝るのが少し怖く感じるようになっている。ずっとクーラーをつけている部屋の空気感もあるが、かといって散歩に出掛けると下着とシャツが一枚溶ける。結局かちこちになったまま次の予定や勤務まで家で寝続けることになる。

日記

どんな場所にも人間関係はあって、わたしはなるべく中立というか、特に関心がないので無関心みたいな立場になることが社会上では多い。そうすると均等に人間がやってくるので結果的に変な立ち位置になってしまうことがある。

わたしがこれまで人と付き合ったことがないのは、ひとえに自分の男性的魅力の無さに帰着する部分もあるだろうが、極端な偏りを避けてきたからでもあるだろう。それは、同性の友人に対してもそうで、いくら相手の友人が心を許して羽目を外してくれていることがわかっていても同じように羽目を外すことがわたしは出来ない。結果、相手が自分といる時より羽目を外している様子をSNSで間接的に知って、ああわたしは相手にセーブをさせてしまっているのだ、という感覚を覚えてしまうが、基本的に相手に感じていることは自分自身が感じていることでもあるので、自分自身もどこか不如意ではあるのだろう。

『違国日記』の中盤あたりから頻出するようになった女子校的なお喋りのコマを読むのがきつくて、おそらくそれは読むというより全体を見れば良いコマなのだろうが、自分の集団での会話能力の低さを思い出した。『違国日記』を槇生の物語だとは全然読めずずっと朝の物語として読んでしまった。わたしがわたしより大人だと思っている友人が槇生が主役と話していてはじめて気づいたぐらいだったが、映画のキャスト発表も槇生が最初だったからそうなのだろう。ショートカットの女優って広瀬すずぐらいしか浮かばないけど、朝役が広瀬すずは嫌だなー。野性味はぴったりだけど、ビジュアルイメージが正反対だ。どっちかというと前回のブログで書いた中学三年間好きだった女の子の方が朝っぽい。高校三年間好きだった女の子は丹生明里みたいなビジュアルだったんだけど、わたしは金村美玖がとにかく好きだ。

日記

テレビ画面で試合を見ている限りはなにも思わないが、球場音声のようなものをTwitterで再生すると中学三年の夏に野良野球仲間の男女五人ぐらいで甲子園に行ったときのことを思い出す。ショートカットの似合う中学三年間好きだった女の子もそのなかにいて、最初の二年間で三回ぐらいイキ告したあと一番仲良くなっていた時期。

無料の外野スタンド(いまは500円になったんだっけ?)で二段に分かれて座って試合を見て、第三試合から第四試合にかけて段々陽が落ちてきたぐらいのときの後ろの段に座っていたその女の子の様子や、帰り道ではぐれないようにたまたま前にいたわたしのリュックを掴んでいたこと、大阪までの電車の時間。なにかに吸い込まれるような、ほんものの時間がそこにはあった。

日記

酔っていてペットボトルのゴミ出しを忘れる。

帰りの電車の駅のホームで、オーラのある女性に釘付けになって、思わず声を出しそうになる。どこか重要な場面で出会ったことが確実にある顔だったのだけど、シンプルにスマホの画面上でとかかもしれない。

一途な恋の話を聞くと、自分の気移りの多さにびっくりする。K-POPのメンバーをグラデーションで見ているということに以前気付いたが、現実の異性もグラデーションでしか見ていないのかもしれない。

サウナや銭湯の話を聞くたびにわたしは自分の体型や男性器を同性に見られるのがほんとうに嫌だということを思う。まあ、だいたい想像はつくだろう要するにそういうことなんだけれど、一方で、2023年においてむしろこれはアピールポイントなのかも? と思ったりもする。とはいえ、そうした性質をチャームポイントにして打ち出す?(ポップ化? ネタ化?)ことも同じぐらい苦手で、表現者として致命的なのはこっちの方なのかもなとも思う。

職場の食堂のお兄さん、ぐらいのなんでもない人に他意のない好意を向けられることにどうしても抵抗がある。そもそもこっちはお客さんで、向こうからしたらお得意さんであるだけなのに。