日記

朝起きてなんだ気圧か、と思う。

昨日は睡眠時間が少なかったので仮眠を取りながら過ごした。

一日中、家にいると身体が怠くなるので、お昼過ぎにトークイベントの発券をしにコンビニへ行き、夕方の昼寝のあと川沿いを歩いてスーパーへ行った。

川沿いを歩いた時間がちょうど日没の時間で、太陽の最後の抵抗のような日射しが差していて、日傘越しでも身体にダメージがあった。

トークイベントで「書店員」という響きを聞いて自分のなかにあるなにかが反応したような気持ちになる。自分のいまの職種は職種名を出せばそれが企業名になる職種で、けれども、そのなかではイレギュラーな業務をしている。だから、マッチングアプリとかに記載するなら「工場勤務」とかになるのだろう、と思う。正社員ではあるが、変則勤務だし、大学時代のいわゆる「奨学金」だけでなく、高校時代に借りた奨学金もある。スタートラインに立てていない。

久しぶりに、大学を卒業してから数年ふらふらしていたときのことを思い出した。梅田の紀伊國屋ジュンク堂に行っては、本棚を睨むように眺め、日常の出口のようなものを探していた。いまだに休日がしんどいのは当時の日常感覚に一番接近するからなのかもしれない。

歌集を出すと、いつか自分が短歌をはじめたときのことを語るときがくるだろう。ハルカトミユキのオフ会に参加した帰りに葉ね文庫に連れて行ってもらったのが一番「あの日」感がある日なんだけど、その日の前夜的な日常のことをすっかり忘却していた。

日記

夏の暑さにやられながらも人恋しさが募る毎日。昨晩は仕事終わりにハイボールとアイスコーヒーを飲んだら就寝後一時間半で目が覚めて、そのまま六時頃まで眠れなかったが、副産物として目下取り組み中の原稿が進んだので結果オーライ。

肉体労働を一日すると引くほど精がついていて、というか、人体の仕組みを考えると至極当然のように思えるが、就寝前にそちらの処理も済ませる。処理をするとき、それなりの頻度で『聖なるズー』のことを思い出す。『聖なるズー』を貸した友人はマッチングアプリで知り合った相手と同棲をはじめてから諸事情あって会えなくなった。その寂しさがずっと尾を引いている。

処理を終えると、下半身が熱を持っていて、あらためて人体のことを思う。具体的な経験がないので知らないが「あったかい」ってよく聞きますね。

わたしの人体の情報って、いとこが小さかった頃に無邪気に触れ合ってきたとき、満員電車での接触、精神病が再発したときの母親の三パターンぐらいしかないけれど、確かに人体ってあったかいか冷たいかのどちらかだ。

言葉や思考や認識で自分の日常を少しでも変えていくにはこういう話をどんどんしていかないと仕方ないと思う。

人との関係性において、自分はいつも待っている、待たされているような状態にあるように感じてしまうとき、辛い気持ちになる。こうなってしまう原因は、自分がつねにコミュニケーションを渇望してしまう性根なため、届いたメッセージに即レスしてしまうことと、自分がコミュニケーションのボールを持っている状態が落ち着かないこととがあって、個人的には、後者をもう少しなんとかしたいように思っている。休職中にリワークセンターに通ってからは、長めの文章を送るときは一度Scrapboxで下書きをしてから送るという工夫をしていてこれでも随分改善はしたのだが。

職場や町などでまず目に行くのが人体よりも顔なのだけど、これは文字通り顔色をうかがっているのだろう。