日記

夏の暑さにやられながらも人恋しさが募る毎日。昨晩は仕事終わりにハイボールとアイスコーヒーを飲んだら就寝後一時間半で目が覚めて、そのまま六時頃まで眠れなかったが、副産物として目下取り組み中の原稿が進んだので結果オーライ。

肉体労働を一日すると引くほど精がついていて、というか、人体の仕組みを考えると至極当然のように思えるが、就寝前にそちらの処理も済ませる。処理をするとき、それなりの頻度で『聖なるズー』のことを思い出す。『聖なるズー』を貸した友人はマッチングアプリで知り合った相手と同棲をはじめてから諸事情あって会えなくなった。その寂しさがずっと尾を引いている。

処理を終えると、下半身が熱を持っていて、あらためて人体のことを思う。具体的な経験がないので知らないが「あったかい」ってよく聞きますね。

わたしの人体の情報って、いとこが小さかった頃に無邪気に触れ合ってきたとき、満員電車での接触、精神病が再発したときの母親の三パターンぐらいしかないけれど、確かに人体ってあったかいか冷たいかのどちらかだ。

言葉や思考や認識で自分の日常を少しでも変えていくにはこういう話をどんどんしていかないと仕方ないと思う。

人との関係性において、自分はいつも待っている、待たされているような状態にあるように感じてしまうとき、辛い気持ちになる。こうなってしまう原因は、自分がつねにコミュニケーションを渇望してしまう性根なため、届いたメッセージに即レスしてしまうことと、自分がコミュニケーションのボールを持っている状態が落ち着かないこととがあって、個人的には、後者をもう少しなんとかしたいように思っている。休職中にリワークセンターに通ってからは、長めの文章を送るときは一度Scrapboxで下書きをしてから送るという工夫をしていてこれでも随分改善はしたのだが。

職場や町などでまず目に行くのが人体よりも顔なのだけど、これは文字通り顔色をうかがっているのだろう。